北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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(昭和一八)年に設立された北海道水産業会(通称北水)が、四九年の同会解散直前に編さんした著作の一部を抜粋したものである。同会は戦後いち早く、一九四六年一〇月に「漁業制度改革委員会」を設置し、一六項目に及ぶ漁業制度改革要綱案を取りまとめ、全国に先駆けて中央折衝を行っている。その内容は「漁業権を総て生産漁民の共有とし経済的社会主義政策を実施すべき」とあるように、相当にラディカルで変革に向けた熱意を感じさせるものであった。抑制しようとする水産庁案に対して、真っ向から反対するという姿勢が示されている。沿岸漁民に広い漁業権漁場を保証し、漁民集団と行政が一体となってその民主的利用・管理を図り、総合的漁場利用による漁業生産力の向上を実現しようという、本道水産業界の高い気概がそこに示されているといえる。ただし、本道における漁業制度改革は地主的定置漁業権者の排除という点で大きな成果を収めたものの、定置漁業権の大部分が個人所有になったという点では、生産漁民の共有化を進めようという当初の高い目標に照らしてみた場合、かなり「かけ離れた結果に終わった」とされる(北海道水産林務部『新北海道漁業史』三六頁)。定置漁業権共有化という目標の本格的追及は、高度経済成長期以降におけるサケ・マスふ化放流事業の発展や漁獲物の価格上昇といった、定置網漁業を取り巻く諸条件の変化を待たねばならなかったのである。戦後の食糧難と漁村における過剰人口の圧力は、道内各地で沿岸資源の乱獲を惹起せしめた。とりわけ、簡易で効率的な小手繰網漁業の急激な拡張は、沿岸資源に多大なダメージを与えた。資料5は、道水産部が一九五〇年四月に発出した「小手繰網漁業整備要綱」である。無許可船の根絶に加え、操業及び経営内容の悪質又は不健全なものは整理し、残りは他の沖合漁業に転換させるという一連の対策がここに示されている。一方、一九五二年には講和条約の資料4は、水産庁の漁業法改正案に対する道議会の要望意見書である。ここでは、漁業権漁場を一定距岸距離内に北洋漁業の再開と転換政策の開始348第4章 水産業(2)   

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