一方、この期には、水産加工業でも革新的な技術が誕生する。冷凍スリミとサキイカの開発がそれである。資料13は、冷凍スリミの開発・普及過程を簡潔に示したものである。冷凍スリミの開発は北海道水産試験場網走支場(現北海道立総合研究機構網走水産試験場)と網走市内の民間工場の協力により、一九五九年から開始され、その後道内各地の陸上工場で急速に生産量を拡大していく。また、一九六〇年代後半になると大手水産会社の大型母船による洋上スリミの生産量が急増し、六三年には陸上スリミの生産量を上回るまでになる。この冷凍スリミ技術の開発が、北転船や母船式底曳網漁業の発展を支えたことはいうまでもない。資料14は、サキイカの開発過程を示したものである。戦後もイカの加工品といえば専ら「するめ」(素干品)であったが、北洋漁業が再開されると中型サケ・マス流網漁業等の裏作としてイカ釣り漁業を営む者が増加し、それに伴いスルメイカの漁獲量が増加したため、新たなイカ加工品の開発が求められていた。このような状況下で、一九六〇年代に入りサキイカ(調味加工品)が開発され、それが新たなヒット商品になることによって、イカ釣り漁業とイカ加工業が連動して新たな発展軌道を描くことになるのである。高度成長期に躍進した沖合・遠洋漁業は、一九七三(昭和四八)、七九年のオイルショックと七七年の国際的な二〇〇海里体制成立により大きな打撃を受け、以後、縮小再編の途をたどることになる。資料15は、二〇〇海里ショックに直面する一九七七年五月一一日に、全国鮭鱒流網漁業組合連合会(全鮭連)が発出した日ソ漁業交渉に関する見解である。この年はソ連の二〇〇海里専管水域設定と日ソ漁業条約廃棄通告によって日ソ漁業交渉が難航し、サケ・マス流網漁業の出漁が大幅に遅れるとともに、全鮭連傘下の中型船六〇隻が休漁を余儀なくされた。また、漁獲割当二〇〇海里ショックと外国漁船対策第三節 二〇〇海里の影響と沿岸漁業振興351解 説(1)
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