大不況を招来し、また昭和のはじめにも、イワシ不漁のため渡島東部から噴火湾にかけての漁民に大打撃を与え、これら漁民層の分解は促進された。戦時中および戦後の食糧インフレとその後のインフレ収束はさらに大きく道南漁民をゆすつた。しかし、道内諸産業は一般に未発達であり、資本制漁業の発達もまた遅れていたため、道南漁民の分解とその構造の基本的変化はきわめて停滞的であつた。北上したニシン漁業資本も、次第に増大する道南からの出稼漁民を収容しきれず、戦後あらたにぼつ興した北洋漁業はさらに広い労働市場から労働力の供給を受けていた。またこのように、内地から分離され自然条件の好転をたよりとして生活してきた道南漁民は、漁業技術の上からも経済の上からも著るしく立遅れ、不安定な就業と蓄積のない低生活に甘んじた。かくして、家族労働を主とする小漁業に、過剰な労働力を抱え不安定不適当な雇傭先に出稼ぎしつつ昔のような自然条件と内地市場条件の好転に期待をかけてきた道南漁民は、反対にこれらの条件の悪化にあつていよいよ分解への道を早めざるをえない状態となつている。多数の道南漁民は漁業外賃労収入に次第に依存するようになりつゝあるし、一方、義務教育を終了した漁村の子弟はほとんど漁業からはなれて別の職場に職を求める傾向にある。かくして過剰な労働力を抱えて、その生活に窮していたはずの道南漁村にも中型漁船の労働力調達に困難するところが現われてきた。これは、労働条件の若干の改善に役立つているというだけでなく、近代的沖合漁業の出現をみないかぎり、道南の労働力を吸収して従来のような生産を漁業において維持することが困難となりつつあることを示している。すなわち、漁業生産力の構造を変化させずにはおかないものが現われてきつゝあると考えられる。道南における中規模漁業の歴史は古い。しかし、それは商業資本や高利貸資本の仕込という経済組織のもとに沿岸で行われた。そして、それらの漁業の発展が長い間阻止されていた。しかもその大部分は、自然条件の変化沖合漁業の発達359第1節 漁業制度改革と戦後復興 (3)
元のページ ../index.html#373