した。ー・ラインが北方および西方に拡張されないのは、対ソ連、対中国関係に原因していることを知ったのである。これでは講和条約の発効を待つ以外、手がなかった」と述べている。その待望久しかった対日平和条約は、二十六年九月八日にサンフランシスコで調印された。この平和条約第九条で「日本は公海における漁猟の規則又は制限並びに漁業の保存及び発展を規定する二国間及び多数国間の協定を締結するために希望する連合国と速かに交渉を開始すること」を約束した。これにもとづいて提案された日・米・加三国の漁業会議が講和条約の批准をまたず、二十六年十一月五日から十二月十四日まで東京の外務省で開かれ、北太平洋漁業条約を締結することとなった。この条約の是非や、経過は後述に譲ることとして、ともかく、さけ・ます漁業は、西経一七五度以東海域で、操業することをいわゆる〝自発的に抑止〟することになった。逆にいえば、日本は西そして、政府や漁業者は、マッカーサ経一七五度以西海域で、昭和二十七年から一〇年ぶりに母船式さけ・ます漁業を操業することができることになった。講和条約が発効すれば、いわゆるマッカーサー・ラインが撤廃されるわけで、塩見友之助水産庁長官は、昭和二十七年一月二十八日ひろく北洋漁業者や代表を招き、北洋漁業再開についての政府の基本方針を説明、その協力を求めた。次にその基本方針を掲載しておこう。一、終戦とともに多年わが国の漁業者の働き場所であり、また、国民食糧の供給源として重要な比重を持っていた北洋漁場が閉され、関係漁業者の損失はもとより、その影響は内地水産資源に対する圧迫ともなり、国民経済全体に対しても少なからぬ負担を加える結果となっていた。め、この方面の資源に対して過去の経験を基にして各方面より漁業許可の出願が当局に集まり来ったことは北洋漁業再開の基本方針=水産庁いまや講和条約の発効を目前にして蟹・鮭鱒をはじ367第1節 漁業制度改革と戦後復興 ─略─
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