を乞う要望がたかまり、昭三六年工場数九、年産二、五〇〇トン、昭三七年、工場数一四、年産四、五〇〇トンまで増加した。しかしながら、この新製品は従前、類を見ないものであるため、需要の開拓は意に任せず、企業採算はまことに不安定を免かれなかったが、原魚スケソウの漁獲増に対応してスリミ指定工場増設(道内地域別適正配置)の要望が強く、昭三八年には二八工場、生産は九、二八二トンに倍増する。更に昭三九年には三九工場、年産一八、〇六〇トンに拡大を続けた。この間に処し、申合わせの魚肉協会は、急速拡大に対・ 応するには、業界団体としての強化(法人化・予算の拡大・技術員の確保・品質規格の統一・自家研究所の開設・計画的販路開拓事業の実施・等)を図る要に迫まられ、昭三八年一〇月七日、札幌市内に於いて、社団法人北海道冷凍魚肉協会の設立総会を開催、第一事業年度(三九年まで)予算一一、〇五〇千円を決定した。同年一一月九日農林大臣から設立認可を受けた。新発足した法人協会は、前述の必要実施業務のほか、取り急ぐべき措置の一つとして、北海道知事が取得(昭三八・五)した無塩冷凍スリミ製法特許について、専用実施権を得ることであった。これが折衝並びに契約締結まで約八ヶ月の日時を要することとなったが、この間、併行して事務所、事務局の整備、網走研究所の開設等が進み、また専用実施権の協会による設定登録は、昭三九年七月に完了した。大手漁業会社による北洋ミール事業は、戦後、昭三三年に始まり、三五年度に五船団(大洋算し、本格化するとともに、主たる原料魚・カレイ資源の枯渇が表面化するに至った。一方、昭三五年のスケソ漁獲は一七、〇〇〇トンにのぼり、五船団総漁獲の約六〇%を占めるようになった。従って資源的に強いと見られるスケソウの付加価値の向上は、当然三社にとり探究すべき方向であった。この点、先手を採った日水は、昭三五年玉栄丸で試験〈中略〉第2章 洋上スリミ生産始まる(昭四〇年)日水・北水)を385第2節 高度経済成長期における生産力発展
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