北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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単位:トン表四大洋漁業系日本水産系宝幸水産(洋上計)陸上スリミ昭四〇四一五、八四〇一〇、八二〇二〇、五六〇三五、五七〇二、三四四二、二一四一八、七二三三九、一八四八、一八四一三、〇三四三九、二八三七五、八三四二三、六三九二九、九一三四四、八六九六九、六三五四二四三一、〇八〇を開始したが、品質のスポンジ化で進まず、翌三六~三七年の二ヶ年、北海道水試と玉栄丸船上で共同試験を実施したが、安定品質を得るに至らず、三八年に至って必要な水晒しと添加剤(糖分)による方法並にプラントについて見通しを得るに至り、三九年に無塩スリミ、約五〇〇トンを試作したのが事始めとなった。また大洋漁業は、昭三九年天洋丸にテスト・プラントを設置、二五〇トンを試産し、北洋水産も鵬洋丸に設置するプラントを考究する段階に入った。昭四〇年は洋上スリミの本格操業の年度となる。大洋漁業は天洋丸によって、約五、八〇〇トン、日本   — 〇〇〇    ウ魚価維持対策になやむ実態を無視する企画として、は水産は玉栄丸に於て約二、三五〇トンの生産を挙げ、一方ベーリング海操業にまわる北洋水産の鵬洋丸が、裏作事業として、西カムチャッカ沖、ソ連スケソウ買魚によるミール・助子・スリミ処理計画が明らかになるや、北海道、東北スケソウ関係漁業界から、さなきだにスケソげしい反対が起り、結局、水産庁の斡旋もあり、北洋水産は当面、スリミ・助子の生産搬入を取りやめる事態が発生した。然し、ベーリング海に於ての鵬洋丸スリミ生産は四一年に開始された。更に四一年に、単船トロール船によるスリミ生産企画が、函館公海漁業によって結実し、第二瑞洋丸がトロール船スリミの先駆となった。洋上スリミの初期と目すべき昭四〇~四三年の生産量と陸上のそれを対比すれば、つぎ〔(表―四〕のようになる。冷凍スリミの技術開発と北海道知事による無塩製法特許権の取得は、第1章に述べたとおり、北海道スケソウ編者注)386第4章 水産業

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