かえりみるに、戦後の日本経済並びに人心の混乱期にあって、昭和二十七年国民食糧の確保という国家的使命のもとに北洋サケ・マス漁業が再開されるところとなった。しかしながら北洋再開間もない昭和三十一年、いわゆるブルガーニンは一大規制の措置が決定され、再び日ソ間に新たな政治抗争が生まれるに立ち至ったのである。この結果、いまだ国交回復のない情勢下にあって、当時の鳩山首相の訪ソによる両国首脳の交渉がもたれ、日ソ共同宣言の採択を促し、はじめて両国の間にこれまで難航していた国交の回復が実現され、そして同時に締結されたのがこの日ソ漁業条約であった。いわば北洋サケ・マス漁業によって第二次世界大戦により閉ざされてきた日ソ間の固い扉は開かれ、両国漁業の開発と発展は勿論、相互の文化の交流と発展、貿易の拡大、あるいは人事の交流など日ソ友好親善を基調として両国の発展に果たした役割は極めて多大なものであることは内外共に認めるところである。この重大な任務を果たしてきた日ソ漁業条約が、二〇ラインの設定によりサケ・マス漁業〇カイリ問題を契機とした日ソ両国の争いの中に終焉をみなければならない結果となったことは、誠に残念に思うのである。しかし、我々はこの条約によって培かわれてきた日ソ友好と協力関係の強い絆を断ち切ることなく、新しい二〇〇カイリ時代に入り、更により強固な関係を築き上げ、相互の理解と協力によって両国の発展に尽くしていくことが、今課せられた我々の課題であると同時に、二十一年間継続してきた日ソ漁業条約を、単に一片の廃棄通告によって忘却することなく、日ソ両国関係者の手によってこの精神を引き継いでいくことが真のつとめであると信ずる。三、二〇〇カイリ時代の漁業再編成に関する熊谷二〇〇カイリ時代の本格的到来という極めて厳しい次 • 知った。元に立って、先般自民党の水産部会で提案された日本水産業の再編成に関する熊谷試案を新聞の報道によって試案について392第4章 水産業
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