経済力の集中を排除する連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の政策により、当初、三二五社が分割の対象となった。東西冷戦の進行に伴う占領政策の転換によって分割の対象は一八社へと大幅に削減されたが、その一八社の中に北海道の企業が複数含まれていた。資料1は日本製鉄の分割を受けて、日本製鉄輪西製鉄所所長が社内報で発した声明である。王子製紙も同様に集中排除政策の対象となった。同社は最終的に三社に分割されたが、資料2は、その過程の一九四八(昭和二三)年七月に内定していた六社分割案をもとに、従業員間で行った社名懸賞の抽選結果である。大企業の分割は別の問題も引き起こした。植民地を失った日本では、海外居住者の引揚げとその受け入れをどのように進めるかが社会問題になっていた。王子製紙から分割された苫小牧製紙でも、専門委員会を設け、引き揚げてきた海外従業員をどのように配置するかの検討が行われた(資料3)。高度経済成長期の日本で重要な役割を果たした産業の一つが鉄鋼業である。この時期に鉄鋼業が発展した要因の一つが、数度の鉄鋼合理化計画を背景にした積極的な設備投資である。資料4は、富士製鉄室蘭製鉄所の第三次合理化計画によって建設された設備の、完成披露式典の様子を報じる社内報である。ここから、この設備投資の規模や概要、435解 【工業(資本財)】第一節 第二節 戦後復興期の混乱高度経済成長期の大型投資解 説 説
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