社外からの評価を伺うことができる。同様に、軽工業である製紙業でも積極的な設備投資が図られた。資料5は、王子製紙が苫小牧工場に新聞用紙製造設備を新たに増設した背景を説明したものである。また、資料6は、同じく苫小牧工場での新たな抄紙機(新三号抄紙機)の設置、及び、それに際しての同工場での臨時建設部の設置について、臨時工場労使委員会の場で説明されたことを伝える社内ニュースである。高度経済成長期を通じ、外国船主受注の重要性が高まっていた函館ドックは、一九七〇年代に入ると、ニクソンショックなどによる船舶輸出への逆風が生じたことや、主力である二万~六万重量トンの市場が供給過剰傾向にあったことから、その対策を迫られていた。資料7は、三〇万重量トン型の新造船を可能にする大型ドックの建設を発表した函館ドック社長の挨拶である。当時建設中であった修理用ドックの費用を含め、建設費用はおよそ一四〇億円であり、これは同社の一九七〇年における利益のおよそ四五倍にのぼる金額であった。一九七四(昭和四九)年に戦後初のマイナス成長となったことを境に、日本経済は八〇年代半ばまで安定的かつ低成長の時代を迎えた。この時期、資源多消費型産業は停滞し、一部の産業は構造不況業種に指定された。北海道の鉄鋼業、造船も、様々な形で経営の見直しを図ることになった。日本製鋼所は円高や内外市場での価格下落が影響し、一九七七~七九年度に経常利益が赤字に転落した。特に、同社室蘭製作所の業績は厳しく、政府による特定不況産業安定臨時措置法の指定を受けることになった。この情勢から構造不況とその対応第三節 一九七〇年代以降の各企業436第5章 工業・情報通信【工業(資本財)】(1)
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