北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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同所では、一九七九年に二回にわたり希望退職を募り人員の削減を図った(資料8)。経営環境の厳しさは新日本製鐵も同様であり、同社室蘭製鉄所は高炉一基体制での「低操業」を継続せざるを得ない状況にあった。室蘭製鉄所は各工場の休止や人員の他製鉄所への移転などによる合理化を進める一方、特殊鋼を主体とした生産体制を確立すべく、一九八五年に「特殊鋼元年」を宣言するとともに、「特殊鋼の室蘭」確立に向けた具体的な方針を打ち出した(資料9)。石油危機後の船舶需要の減少による造船不況は函館ドックの経営も悪化させた。函館ドックは人員削減も含めた合理化で対応したが、経営を立て直すことができず、一九七七年度には業界最大の赤字を記録した。その後も業績は好転せず、八四年、函館ドックは、来島どつく、富士銀行との共同出資で南北海道興産(後に函館どつくに改称)を設立、全従業員、造船業、建設業を譲渡した(資料10)。一九六〇~七〇年代は企業による環境汚染が社会問題となった時期であり、北海道の企業も様々な環境対策を進めた。一方で、廃棄物によって影響を受けた住民との交渉・補償もこの時期の企業の重要な責務であった。資料11は、北海道水産部による一九七二年の調査を契機に生じた、王子製紙と苫小牧漁業協同組合の補償交渉の帰結として、両者が交わした協定書である。工業部門における道内の中小企業は数多く存在するが、ここでは農業機械工業を取り上げる。北海道における農機具団体の嚆矢は一九三七(昭和一二)年に設立された北海道農機具工業組合とされる。同組合は、一九四四年に北海環境問題とその対応第四節 中小企業の戦後史437解 説    (2) 

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