北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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資料19からは、アサヒビールの北海道工場建設経緯が分かる。卸売業者によるビールの取扱い規制が撤廃されたこと高度経済成長期には、消費財部門においても様々な分野で新規参入や事業拡張が進んだ。高度経済成長期における酪農業の課題の一つが低乳価問題であった。一九六六年九月、農林省畜産局長通達により、指定生産者団体が余乳処理のための「調整工場」を持つことが可能になった。これを受け、酪農家の間では自らの手による乳製品工場の設立を望む声が高まっていった。同年十二月、十勝管内の八農協組合長が密かに誓約書を交わすとともに(資料16)、その建設を進めていった。その後、関係各所との交渉や、十勝管内の各農協での会社設立発起・株式取得の決議などを経て、一九六七年、北海道協同乳業(現戦後から一九五〇年代におけるサッポロビールを中心としたビール業界の動向については資料18が詳しい。一方、を受け、北海道酒類販売(北酒販)は、朝日麦酒と特約し、北海道での販売を開始した。その後、北酒販側の要請もあり、朝日麦酒は北海道でのビール工場建設を決定、一九六五年に飲料工場を、六六年にビール工場を竣工させた。一九五〇年代半ばにおける北海道のてん菜工業では生産の拡大と新規参入の増加が見られた。てん菜生産振興臨時措置法が一九五三年に公布されて以降、てん菜の作付面積は五〇年代後半にかけて急激に増加した。更に、低利融資による製糖事業進出促進構想が河野一郎農相により発表されると道内外の企業・農業団体によるてん菜製糖業への参入が相次いだ。これに対し、日本甜菜製糖も美幌での新工場建設を請願(資料20)、五九年に新工場を完成させた。この時期の北海道の製菓市場では、道内外の企業間での競争が激しくなっており、各社間の宣伝・販売競争も激化していた。資料21からこの時期の古谷製菓の特売戦略を伺うことができる。戦後のゴム工業は、高度成長期に入り業績を伸ばす一方、一部業種の参入障壁の低さもあり、過剰生産と過当競争市場の拡大と新規参入・事業拡張・合理化よつば乳業)が創立された(資料17)。439解 説       (2) 

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