が問題となっていた。ミツウマは、それに対応するためコストの削減を図り、工場の合理化を進めていった。資料22は当時の同社の設備合理化案の一端を示すものである。旭川の家具工業は、一九四九年に北海道で唯一、重要木工集団地区に指定された。また、一九五九年度より始まった豊岡木工団地は成功を収め、模範的な集団地と評価された。それに対し、札幌木工センターについては、資料23にあるように、「実態は極めて深刻な事態」と評される厳しい状況にあった。一九七〇代半ば以降の消費の多様化に合わせるように食品企業による生産設備の増強や製品の多様化が進展した。「食のインスタント化」に伴い成長していった冷凍食品事業には、一九七〇年代より大手食品産業の参入が見られた。また、「食の洋風化」に伴いチーズ需要も増加していた。一九八〇(昭和五五)年に農林水産省が打ち出した、一万トン規模のチーズ製造工場の建設構想は途中で頓挫したものの、八一年に結成された全国及び北海道の酪農団体による「国産チーズ振興委員会」により、チーズ工場をよつ葉乳業十勝工場に併設することが決定され(資料25)、八二年に竣工した。資料24にあるように、雪印乳業も同時期に冷凍食品事業への参入を果たした。消費の多様化と製品の多様化第二節 消費多様化時代440第5章 工業・情報通信【工業(消費財)】 (1)
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