北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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一九七〇年代以降の経済成長の鈍化や新興国の台頭などにより、それまで順調に成長しながらも、停滞する道内企業が生じた。高度成長期に増加していったパン需要は一九七〇年代に入り伸び悩む傾向にあった。日糧製パンは、道内の売上げが伸び悩んだこともあり、コストの上昇を吸収しきれない状況にあった。これに対し、日糧製パンは、コンピュータの導入による事務処理の合理化、生産ラインの合理化・省力化を進めた。また、函館日糧、旭川日糧、釧路日糧の三社と合併し(資料26)、原料購入の一元化によるコストダウンや管理体制の強化を図った。製糖業界は、一九六三年の粗糖輸入自由化以降、過当競争による不況に陥っていたが、七〇年代に入ると更なる大きな問題に直面した。第一次石油危機後の糖価の急騰に対し、砂糖輸入組合は、一九七四年、オーストラリア企業との間で、半量を当時の国際粗糖価格の半額とする長期輸入契約を結び、対応を図った。しかし、一九七五年になると糖価は急落し、原料輸入高と販売価格の低下により製糖企業の業績は悪化した(資料27)。ミツウマも、一九六〇年代に入り徐々に業績に陰りが生じていた。当初、多角化によって対応していた同社は、一九七〇年代に入り国内の不況や国際環境の変化によって経営を悪化させていった。資料28で業績低迷の理由に輸入品からの圧力が挙げられているように、一九七八年に中国・韓国からの輸入品との競合激化により経営が大幅に悪化、八四年に会社更生法の申請による再建手続に入ることになった(資料29)。低成長時代への対応441解 説    (2) 

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