北海道現代史 資料編2(産業・経済)
457/1104

えて、道内酪農界では乳製品工場再編が課題となっていたが、この資料では、その再編問題と並んで、よつ葉乳業の異物混入事故が話題となっている。ここから、事故後のよつ葉乳業は、製品のキャンセルや製品回収に伴う補償などにより、一時的に経営が悪化したことがうかがえる。しかし、事故後の対応と事故前の安定した経営が功を奏し、この問題は深刻な経営危機をもたらすことはなく、よつ葉乳業は、現在も高いブランドイメージを維持し続けている。戦後の情報通信産業における最初の大きな変化として、電話加入者の増加、市内通話から市外通話への範囲の拡張、「待時通話」から「即時通話」への転換がある。北海道では、一九五六(昭和三一)年に小樽―札幌の自動即時通話が開始され、以後件数・範囲ともに広がっていった。その後、札幌以外の都市間の市外通話も即時化が実現したが、そのうち江別電報電話局では一九六二年に自動交換機が導入され、六三年には多くの都市との間で通話が即時化した終戦直後の放送の主役はラジオであり、日本のテレビ放送はまだ始まっていなかった。日本で最初のラジオ放送が始まったのは一九二五(大正一四)年、札幌に放送局が開局したのは二八(昭和三)年である。戦前及び戦時中のラジオ放送は日本放送協会のみが行っており、民間会社によるラジオ放送は行われていなかった。しかし、民間放送を可能にする、いわゆる「電波三法」の成立と前後して、多くの民間会社による申請が行われた。北海道では、北海道(資料35)。第二節 【情報通信】第一節 通信インフラの展開ラジオの時代からテレビの時代へ443解 説  

元のページ  ../index.html#457

このブックを見る