新聞社内で民間放送事業に乗り出す動きが生じ、一九五一年に北海道放送が正式に発足、翌五二年に試験電波の放出と検査合格、そして本免許が交付され、三月に本放送が開始された。資料36は放送初日に行われた阿部謙夫北海道放送社長による放送原稿である。高度経済成長期はテレビ時代幕開けの時期であった。日本でのテレビ本放送は、一九五三年のNHKと日本テレビ放送網によって始まった。一方、北海道における民間テレビ放送は、民間ラジオ放送に続き、北海道放送が先鞭を付けることになった。同社は、一九五三年にテレビ局開局申請を行ったが、放送に向けての課題の一つが送信所の場所と方式であった。北海道放送は道内のなるべく広い地域に放送が可能な山頂方式を主張し、手稲山での送信所建設を決定した。しかし、その自然環境と気候条件の厳しさから、送信所建設とその維持には、技術的な困難と命の危険を乗り越える必要があった。資料37からはその苦難の一端を伺うことができる。文字通り命をかけて、一九五六年に建設工事が完了し、翌五七年二月に放送機器の据え付けが終わり、手稲山の送信所は完成した。同年三月にテレビ開局記念式が行われ(資料38)、四月にテレビ本放送が開始された。戦後を通じて、ラジオ放送・テレビ放送は発展を続けていった(資料39)。一九八九(平成元)年時点における道内の放送事業は、ラジオ放送では、中波放送三社(NHK、北海道放送、札幌テレビ放送)、FM放送二社(NHK、FM北海道)が担っていた。各社は放送区域の拡大を図り、全道各地に中継局設置や既存中継局の増力化を進め難聴地域の解消を図っていった。テレビ放送についても、NHK、北海道放送に加え、札幌テレビ放送、北海道テレビ放送、北海道文化放送、テレビ北海道が順次参入し、ラジオ放送と同様に、道内各地で中継局の設置と増力化を進めた。第三節 テレビ放送の広がり444第5章 工業・情報通信【情報通信】
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