本方針をめぐっての論争であり、資源開発の効果や効率化が論点となった。資料3は、そのような北海道開発批判に対し、当時の高岡熊雄北海道総合開発委員長が北海道開発委員会の創立一〇年に当たって、第一期計画策定の意図を述べたものである。そこでは、物的資源開発のみを目的とすべきでなく、人的資源の開発をも併せて促す政策こそ、今日の開発政策の根本方針であるとされ、資源開発と同様に人的資源の開発にも重きを置くことを強調していた。しかし、第二次五ケ年計画では、経済効率重視の内容を含めて産業構造の高度化(工業化)が政策の中心課題となり、生活文化の向上は後景に押しやられたのである。資料4は、道が作成し、国に提出していた第二次五ケ年計画の案であり、その目標には生活の安定向上が掲げられていた。新たな発展段階を目指した「国民所得倍増計画」に対応した国土計画として、全国総合開発計画(全総)が策定された。資料5は、その全国計画との調整を経て策定された第二期北海道総合開発計画の意義と目標である。そのねらいは、日本経済発展の重要な拠点として北海道が積極的な役割を果たすことにある。資料6は、高度経済成長期の後半に閣議決定された新全国総合開発計画における北海道開発の位置を示したものである。そこでは、国際化に対応した大規模食料供給基地や工業基地づくりを推進する全国計画との調整によって北海道計画が策定されなければならないことが明確に指摘されている。資料7は、その調整を経てまとめられた第三期北海道総合開発計画の目標を示したものである。特に工業関連の生産額や生産所得は、世界最大規模の苫小牧東部工業基地開発等の推進によって高い数字が設定されている。資料8は、苫小牧東部大規模重化学工業基地建設に反対する住民集会のアピール文である。この時期、全国的に重化学コンビナートから排出される各種公害に対し、公害訴訟など住民運動が広がりを見せていた。このため政府は、一九七一年に環境庁を設置し解決に当たろうとした。この住民集会は、国主導で進められる北海道戦後復興から高度経済成長期までの北海道開発36 (2) 第1章 地域経済と経済政策
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