席取締役全員記名押印する。昭和四二年一月二二日北海道協同乳業株式会社創立総会〈一九四九〜五八年〉日本麦酒株式会社「ビール業界の状況と当社の販売活動(昭和三六年)」(同「日本麦酒株式会議 長 取締役 取締役 林 取締役 取締役 取締役 取締役 取締役 監査役 監査役 (よつ葉乳業株式会社所蔵)太田 寛一 戦前全国のビール市場の七〇%近くを占めていた大日省三 本麦酒株式会社は、昭和二四年「過度経済力集中排除真鍋 義秀 法」の適用を受け、日本麦酒㈱と朝日麦酒㈱に二分され、藤田 鉄二 キリン麦酒㈱との三社の鼎立時代が始った。新村 源雄 小野木徳治 河口 陽一 サツポロの商標を、朝日麦酒㈱はアサヒの商標を引継朝日 昇 ぎ、飲料水は当社リボン、朝日社三矢を継承した。当梶浦 福督 社は、社名と商品名を統一すると云う観点からヱビス、サツポロの両商標を一本化し、サツポロの星印を踏襲してニツポンビールの新商標で出発した。能力の一番大きかつた当社は大日本麦酒時代の強力な販売網と相俟って優位な地位を占め、ニツポンビールは一時的ではあるが業界の覇者として君臨したのであ ㊞㊞㊞㊞㊞㊞印㊞㊞ 一、当社営業活動の推移ニッポンビールからサッポロビールへ新会社発足に際し、当社はビールに関してはヱビス、発足当初は物資不足の売手市場の時代であり、製造社の沿革と現況ほか」一九六一年 所収)日本麦酒株式会社の沿革と現況494第5章 工業・情報通信【消費財】(1) 18
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