北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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開発に対して、多様な階層の道民が計画の撤回を迫ったものとして注目されたのである。資料9は、その苫小牧東部開発に関連して進められた二風谷ダム建設についてのもので、建設地の平取町が研究者に委託した調査報告書である。この報告書は、河川工学と地域経済学の研究者が協力し合い、開発事業を批判的に取り扱ったという点で貴重なものである。一九七三年の第一次オイルショックは、これまでの高成長を前提とした重化学工業の地方分散政策によって「過疎と過密」、「環境問題」に対処しようとしてきた国土計画に大きな影響を与えた。このことは、これまで全国計画との調整によって策定されてきた北海道開発計画にとっても例外ではなく、北海道独自の計画設定を余儀なくされたのである。資料10は、道の計画である「北海道発展計画」の構想を示したものである。これ以降、道の策定する計画は、政府の北海道開発計画に対しての詳細な地域意見となっていく。資料11は、深刻化する過疎と過密問題に対処するため、北海道開発庁がまとめた北海道への人口の移住・定住化を促進するための地域環境整備方針を示したものである。その実効性は別として、これまでの経済効率中心から生活環境重視へと大きく転換しているのが分かる。資料12は、バブル期における全国計画の中での北海道地域の整備方針である。ここでは再び大規模で生産性の高い産業開発がうたわれており、かつての生活環境重視の地域計画はトーンダウンしてきている。資料13は、同時期の北海道側の地域計画で、政府財政の厳しさを前提に、二一世紀に向けての北海道独自の在り方を説いており、徐々に全国計画からの自立化に向かって計画を進めていることがうかがえる。資料14・15は、バブル期における北海道開発計画の課題と目標を示したものである。北海道独自の地域計画の影響もあってか、道内地域産業を重視しての二一世紀での対応を強調しているのが注目される。しかし、国策に沿った重要事業導入のスタンスはあまり変わらなかった。オイルショックからバブル期までの北海道開発37 (3) 解 説

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