北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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〔職員諸兄の絶対の奮起を望む〕〈中略〉アサヒビール北海道工場建設の公表二、本道産業開発を推進する工場建設を目標当社が設立されて以来全国第一の酒問屋としての実績をもち続けましたことは、当社役職員の努力なり、小売酒販店の力強い協力に因るものであることは、もちろんではありますが、この実績を可能ならしめた消費大衆の方々に対し、何等かの形でお酬いをしたいという、予てからの念願がビール販売を契機として、酒類業界における最も大型企業であり、明日への躍進を約束づけられている、ビール工場を本道に誘致しようということで、朝日麦酒社との話合いが始まったのであります。朝日麦酒山本社長も当社の意図を諒とせられ、一定の     ママ) 数量(石数)が確得されるならば、麦酒工場を作りましょうという確約を戴き、ここに麦酒工場建設を目標とした、アサヒビール発売の契約が為されたのであります。昭和三十六年秋頃から設立を見たアサヒビール協力会が、その後各地に続々と誕生をして、昭和三十八年三月には全道三十の協力会を連合体組織にしました。そして組織の強化を図り、同時にビール発売の意図に順応し、全道の協力会員を中軸として、アサヒビール北海道工場建設促進の署名運動を行なう気運助成となったのであります。そして同年七月、折から来道せられた朝日麦酒山本社長に対し、前述の署名書十万通が手渡され、同時にビール工場建設の正式声明が行なわれた次第でした。これこそ朝日麦酒工場建設の輝かしい歴史の一ページなのであります。昭和三十八年の七月に朝日麦酒山本社長が来道せられた際、町村北海道知事、広瀬道商工会議所会頭等、道各界要路の代表者とお会いして、本道産業経済について語られ、その特質を知り、か(ててまた杉野目北大学長とお会いして「Boys 神に培かわれた北大の卒業生の大半が、何故に職を本州北海道朝日麦酒KKの設立be Ambitious」の全国に冠たる開拓精497第1節 大衆消費の時代へ

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