北海道現代史 資料編2(産業・経済)
52/1104

一九八五年のプラザ合意による「円高誘導」は、輸出産業の海外工場移転を促進させた。このため国内金融機関・産業は新たな国内投資先を生みだす政策を政府に求めた。その結果、「大都市の再開発」と「地方の大規模リゾート開発」という新たな地域政策が策定され、一九八七年には後者のために、総合保養地域整備法(いわゆる「リゾート法」)が制定された。この法律は地方自治体にとって過疎脱却の重要な政策として期待が大きく、全国的にリゾート開発ブームが巻き起こった。しかし、その多くは問題を抱え失敗に終わるのである。資料16は、このリゾート開発が道内地域にもたらした問題点を指摘したものである。前述の「北海道発展計画」に引き続いて策定された「北海道新長期総合計画」(資料13)は、バブル経済の恩恵を利用しながら新機軸の成長軌道構築によって、長く続いてきた北海道経済・社会の停滞を打破しようとした。だが、一九九一年のバブル経済崩壊によって、新機軸の多くは実行されることなく終了したのである。資料17は、その後始末の報道記事で、全国的な経済動向の変化によって地域計画が左右されることを際立たせた出来事でもある。資料18は、一九九八年にまとめられた全国計画における北海道地域の方向性を提示したものである。そこでは、北海道を「新たな北方型文明を創造するフロンティア」とした個性豊かな地域づくりの展開をうたっており、二一世紀を目前に控え、今後の北海道開発の独自性発揮にも期待がかけられていた。           経済学において国民経済と区別して地域経済を取り上げるようになったのはそれほど古いことではないが、北海道については、早くから日本の他の地域と区別される独自の地域として意識されてきた。北海道の特殊性の根源は次の経済構造調整期での北海道開発第二節 経済構造と雇用・人口38  (4) 第1章 地域経済と経済政策

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る