北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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二つにあると思われる。それは①北海道が近世から近代への移行の過程で、すなわち日本の資本主義発展と軌を一にして開拓が進められたこと、②それが中央政府の国策として国家主導的に遂行されたということであろう。これは北海道における資本主義の発展に独自な様相をもたらし、その産業・経済や雇用・人口の様々な側面で多くの特徴を付与してきた。本節では資本主義の発展段階において北海道にもたらされた特徴が、戦後の過程を通じて再編成される一方、その限界が明確になるとともに、それを乗り越える展望が模索された時代を記述している。その時期区分のおよその目安は、戦後混乱期(一九四五~五〇年)、復興期(一九五〇~六〇年)、高度経済成長期(一九六〇~八〇年)、高度経済成長期以後(一九八〇~二〇〇〇年)としており、これは通説的な日本経済の時代区分とはややずれているが、北海道経済の独自性を加味しつつ概略的な区分を行ったものであることをご了解いただきたい。料と燃料(石炭)が真っ先に取り上げられている。冒頭においてそれが国家的課題であるとし、次いで道民生活への供給について語られている。ここに開拓以来の北海道の国家的位置付けが反映しているといえよう。この点は、資料でも北海道開発の主要な目的は「日本再建の一環」であり、戦後の過剰人口の収容と資源供給を北海道の任務としている。一方、資料21では当時の労働市場の状況を述べている。これがまとめられた一九四八(昭和二三)年には労働力需給の混乱はある程度落ち着きを見せつつあったものの、そこには幾つかの興味深い記述が見られる。まず炭鉱労働者について、かつて労働者九二、〇〇〇人であったものが終戦とともに半減したとされるが、これは朝鮮半島及び中国資料19は北海道庁長官の事務引継書の中にある定例道会への説明である。そこでは戦後混乱期の諸課題の中でも食戦後混乱期の北海道経済39  (1) 解 説20においても見てとれる。これは北海道開発法制定以前に道の手によって作成された総合開発計画書であるが、ここ

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