出身者等の離職による部分が大きいと考えられる。ところがその後二年余りで一二一、五八〇人とおよそ七万人余りの急速な増加が見られると同時に、この時点で既に生産性向上に向けた人員抑制が開始されつつあったことが分かる。他方建設労働者については、このころはまだ東北近県などからの道外労働者の移入がかなり見られ、また職業安定法の施行に伴い前近代的な労働者供給システムの再編が進む一方、季節労働市場が拡大しつつあったことが読み取れる。ところで、日本の資本主義発展の基礎として、繊維工業を典型とした農村からの出稼ぎ的・家計補充的賃労働が重要な役割を担ったと一般に指摘されているが、北海道の状況はこれとはかなり異なっていた。まず、本州における繊維工業の中心となった綿紡績及び製糸工業は北海道ではほとんど成立しなかったが、北海道の繊維工業として道産原料を加工する亜麻工業が展開していた。その労働力需給構造を調査したものが資料22である。これによれば、北海道の亜麻工業では道内の農村出稼ぎ労働は一部に過ぎず、長期にわたって道外からの出稼ぎに依存し、道内の給源も都市、産炭地、漁村などに求められ、求職の動機としても家計補充的なものは従であったと指摘している。る。この報告書は以後いわゆる北海道経済白書として引き継がれ、時々の北海道経済の動向と課題について分析報告するものとして、毎年刊行されてきた。ここでは冒頭に日本経済の最大の課題を経済自立であると位置付け、日本の「四つの島に残された唯一の希望」として「北海道の持つ重要性はたとえようもなく大きい」としている。このように日本経済への貢献というという考えが継続されているが、一方では新たな見方も見られる。一つは「北海道の現実を経済的に描き出」すために「集められた資料や統計を基礎に」するという科学的分析の姿勢を前面に打ち出していることであり、もう一つは「さらに進んで道民生活の実態にふれ、自らの姿をありのまま理解しよう」と資料23は、一九五一年に北海道総合開発委員会事務局が取りまとめた『北海道経済実相報告書』の序論と結語であ復興と発展への助走40 (2) 第1章 地域経済と経済政策
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