たよりのような分野を開拓したいと思います。かくて日一日とよりよき放送を行うため絶えざる努力と精進を続ける覚悟であります。どうぞこの点を御汲みとりの上、常に温き心をもってたえざる御指導と御支援をお願いする次第であります。テレビ送信所とわが人生1.草創期の意気込みHBCは北海道という特殊性から、〝全道エリアカバー〟に向けて置局して行くという精神のもと、すでに札幌、函館、旭川、そして帯広の開局を終わり、ホッとする間もなく、昭和三一年は、釧路、網走、北見、室蘭とテレビ送信所とわが人生〈一九五六年〉北海道放送手稲OB会『手稲送信所の思い出』桑畑 博 S三二.四〜S三三.一一(北海道放送株式会社所蔵)二〇〇二年矢継ぎ早の開局のためにおおわらわであった。技術部施設課に席を置いていた私は東奔西走、HBCラジオの電波が全道に広がって行く喜びに浸りながら、日夜、仕事に忙殺されていた。そのような繁忙のさなか、テレビ放送の機運が高まり、時を同じくして手稲テレビ送信所の建設に携わったのである。昭和三一年一月、正月気分も覚めやらぬうちに厳冬の手稲山を目指して第一次の調査を開始した。スキーで、一歩々々林間を縫って山中に踏み込んでは見たものの、千古の威厳を保って屏風のようにそそり立つ峻厳な岩壁に阻まれ、寒さと自分の位置さえ見失いかねない恐怖感におそわれ引き上げた。本格的調査は周到な準備の上、改めて挑戦することに 問、手稲山テレビ送信所建設工事が如何に困難なことか、して、私はこのときの結果を携えて杉山技術部長宅を訪また、完成後の運用面の難しさなど、初めて手稲山に分け入った体験から率直に意見を申し上げた。当時、このようなことを申し上げることはタブーとされていたが、540第5章 工業・情報通信【情報通信】37
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