北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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  〱   S会社トップの考えをザックバランに伺いたかったのである。杉山部長は、「電波百年の大計のために……」と切々と説かれ、激励してくれた。トップの強い意志に心を打たれた私は、迷いから吹っ切れ「何が何でもやり遂げよう……」と心に決めた。2.大通りか手稲か 「無から有を生じる難しさ」。標高一、〇〇〇mを越える山頂は、本州の二、〇〇〇m級に匹敵するところ。そこに道路を作り水、電気を確保して都心から隔絶した山頂で日夜テレビ送信を運用して行く難しさに、当時、HBCとNHKの間で大論争が展開され、多くの人はこれを「無謀」と言った。しかし、トップの決心は固く、放送の公共性に鑑み、「いかなる困難があろうともこれを克服して、電波百年の大計を達成する」という強い使命感は全社員に浸透し、社運をかけた大事業として取り組んだのである。(道史編さん室所蔵)本日は多数御出席下さいまして誠に有難うございます。北海道放送は本年三月十日をもつて、営業開始五周年を迎えました。また、予て工事中のテレビ関係諸施設も完成し、去十八日本免許をいただきました。その後試験放送を行っておりましたが、いよし、四月一日から平常の営業放送を行います。こゝに、この二つのことを御披露申上げる次第であります。去る昭和二十七年三月営業開始当時は、札幌の三キロ局一局をもつに過ぎなかったのでありますが、今日では札幌、函館、旭川、帯広、釧路、室蘭、北見、網走の八つの放送局と、これらと東京、小樽を結ぶネットワークをもち、サービスエリアは北海道のほゞ全域と青森県の開業五周年TV開局披露式挨拶〈一九五七年〉開業五周年TV開局披露式挨拶三二.三.三〇 北海道放送株式会社「〔阿部社長自筆原稿 於 スポーツセンター本日をもって開局541第2節 ラジオの時代からテレビの時代へ38 36〕」〔一九六一年〕

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