北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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入った。また一人当たり所得でみると、戦前から継続して北海道のほうが高かったが一九六〇年に逆転したとされ、その原因を高度経済成長の恩恵を受けることが充分にできなかったことによる、としている。前から北海道に立地していた鉄鋼・パルプなどの大工業は、道内原材料を大規模な工場設備(高い有機的構成)により加工するものであったが、高度経済成長期に国内で急速に発展した鉄鋼や石油のコンビナートは輸入原材料に依拠して展開され、いわゆる太平洋ベルト地帯に立地したため、それまでの原料優位性を失った北海道は成長に取り残される結果となったのである。そうした中で、全総のもとで、地方地域の産業発展の拠点となる新産業都市建設の方針が打ち出された。北海道でも道央地区がこの指定を受けたが、資料30はその基本計画の策定過程を示す資料である。そこでは工業開発の基本的な目標として、①室蘭・苫小牧の臨海重化学工業基地の建設、②札樽地区における機械工業をはじめとした二・三次加工工業の発展、③地場資源を利用する食料品、紙パルプ、雑貨工業の振興、の三つを掲げている。とはいえ、この三つの目標のうち最大の重心が置かれたのは重化学工業であり、特に新たな戦略的拠点として苫小牧港周辺(後の苫東と区別されたいわゆる「現苫」)の工業基地建設が重要な位置付けを占めていたことが、この文書からもうかがうことができる。ここに高度経済成長期の早い段階において、国策にそって重化学工業化の立遅れを取り戻そうとする道の基本戦略が読み取れるであろう。この基本戦略はその後の苫小牧東部開発にも引き継がれていく。しかし一方では、素材型重化学工業の発展とは別に、加工型工業の発展を模索する論調も存在した。資料31は伊藤森右衛門小樽商科大学教授から提出された石狩湾地区の開発に関する意見であるが、そこでは太平洋への臨海性とい資料29でも見たように、日本経済が高度経済成長期に入ると、北海道経済は相対的に立ち遅れることとなった。戦高度経済成長と北海道の課題42  (3) 第1章 地域経済と経済政策

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