北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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う苫蘭地区の優位性を認めつつも、これとは別に大都市札幌に隣接するという点で石狩地区に別の優位性を認めている。また、ここで特に意識されているのは機械工業を典型とする都市型工業としての高次加工工業の集積であり、その中核たる大企業の分工場の誘致を唱えている。これはその後まもなく開始される石狩湾新港建設、鉄鋼、木工団地の構想、そして自動車・電機などの加工組立型工業の誘致といった発展戦略につながる考え方であったといえよう。このように工業化が追求された背景として、立遅れを取り戻す意図とともに、道内外との経済循環が注目されていたということが指摘できる。資料32は北海道と道外との財貨の動きである移輸出入を実物ベースで調査したものであり、一地域でこうした詳細な調査が行われた例は極めてまれである。そこで明らかになったポイントの一つは、高度経済成長期以降、投資と消費が拡大する中で投資財・耐久消費財、具体的には機械工業製品の移輸入が大幅に拡大しているということであった。このことは貨幣ベースによる域際収支、資金循環の推計と併せて、北海道が巨額の域際収支赤字を政府資金の投入によって賄い、赤字の主因は機械工業の未発達によるものであるから、機械工業の立地振興こそが北海道の主要な政策課題であるという議論をもたらした。もとより、全ての財貨の自給を目指すべきであるとか、域際収支は完全に均衡すべきであるとする考えは誤りであるが、上のような議論がその後長期にわたって影響力を持ってきたことは確かである。高度経済成長期に北海道が直面したもう一つの問題は人口の流出であった。既に見たように、北海道は従来東北をはじめとした本州からの労働力を受け入れてきたが、高度経済成長期以降北海道の特に郡部からの人口流出が加速する。これらの事情を読み取れるのが資料33、34、35である。資料33によれば、高度経済成長期の比較的初期には農村部からの人口流出が、道内都市や郡部中心市街地の多くで人口増をもたらした。一方、一九七〇年に過疎地域対策緊急措置法(過疎法)が制定されたが、この法律に対応して北海道が取りまとめた文書が資料34である。ここには、北海道では過疎化はやや遅れて始まったものの、その後全国より激しく進んでいることが示されている。そして資料3543  解 説

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