現況を簡潔に説明した「長官事務引継書」に収められた資料で、ここでは道庁警察部防犯課による闇市の取締状況が取りまとめられている。敗戦後に、札幌、小樽、函館などで闇市が勃興し、それに対して一九四六(昭和二一)年一月から一斉取締に乗り出したところ、函館市では朝鮮人との間で大規模な抗争にまで発展する事態となったという内容である。『函館市史』(通説編第4巻第6編)によれば、この抗争は函館市松風町の闇市取締に際して起こったもので、函館署と朝鮮人露天商との間に乱闘事件が起こり、アメリカ軍憲兵隊の応援出動もあって鎮圧されたが、一般市民二名の死者のほか、露天商・警察官などに五〇余名の重軽傷者を出したという。闇市に象徴される流通の混乱は、物資の不足を配給統制で乗り切ろうとしたことの無理を露呈するものであったが、一九四九年から五〇年にかけて各種の流通統制が解除されると、本格的な戦後復興の時代を迎えた。れている。この記事からは、戦時期以来の経済統制が道内の商権を札幌に集中させる結果を生んでいたことや、統制の解除によって小樽が往時の繁栄を取り戻しつつあったことなどが読み取れる。ただし、小樽の繁栄は長くは続かず、後にみるように、道内卸売業の中心地は次第に札幌へと移っていく。一方、小売業の戦後復興は、商店街や百貨店がリードしていった。資料1は、敗戦直後の北海道における闇市の取り締まりに関する道庁公文書である。道庁長官の交代時に各部課の資料2は、卸売業の復興を伝える新聞記事で、小樽の商都としての復興ぶりが「カムバツク」という言葉で表現さ資料3からは、一九五〇年代前半における道内商店街の状況を読み取れる。この新聞記事には、東京都商工指導所解 第一節 商業活動の戦後復興559解 説 説
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