資料9は、札幌市民生協の内報『生協人』一一号の記事である。札幌市民生協は、現在の「コープさっぽろ」の源一方、小売業の発展に関わって、第二次百貨店法(一九五六年制定)のもとで行われた商業活動調整協議会(商調協)の様子を伝えるのが、資料8である。第二次百貨店法は百貨店の事業活動を規制する法律で、新規開業や店舗の新増設は許可制とされた。調整プロセスにおいては、各商工会議所に設置される商調協を通じて地元関係者の意見調整が図られる慣例が定着していく。本資料は札幌商工会議所に置かれた商調協の第二回協議会の議事録で、五番館の店舗新設許可申請と、三越の増床許可申請が議題となっている。いずれも申請どおりとの結論を得ているが、人口増加の見通しや一般小売商への圧迫の程度が議論されていたことが読み取れる。流に当たる生活協同組合で、北海道大学の生協を母体に一九六五年に設立され、地域生協としてスーパーマーケット方式を取り入れて急速な拡大を遂げた。本資料からも、競合するスーパーの動向を強く意識しながら、事業拡大が目指されていたことがうかがえる。その後、一九七〇年に旭川市民生協、小樽市民生協とそれぞれ統合を果たすなど、多店舗展開と事業統合による積極的な拡大が図られたが、急速な成長が資金不足を招いて経営危機に陥った。なお、一九七〇年代を通じて経営再建が果たされ、その後も道内各地の生協を統合しながら、全国有数の生協へと事業規模を拡大させたが、九〇年代後半には再び深刻な経営危機に見舞われている。コープさっぽろ本部には、本資料のほか、遠軽町生協、帯広市民生協、釧路市民生協などの資料が所蔵されている。一九六〇年代には商店街の組織化も進展し、共同事業への取組も活発になっていった。その一つの契機となったのが、一九六二年に制定された商店街振興組合法である。資料10からは、北海道においても商店街振興組合の設立が進んだことが具体的に読み取れる。あわせて全道単位での連合会組織の結成も進み、一九六二年には「北海道商店街連合会」が創立され、これが六七年に「北海道商店街振興組合連合会」へと改組して法人化が果たされた。商店街振興組合は、行政による各種の振興政策の受け皿として機能し、例えば旭川の平和通買物公園の計画段階で行われた意向562 第6章 商業
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