では、こうした農村からの人口流出の実態について十勝を舞台にして具体的に描写している。更に、資料36は北海道に特有な問題としての季節労働を扱っている。北海道の季節労働は、農家副業ではなく専業的季節労働者の周期的失業が構造化したものであり、戦後長期にわたって雇用政策の重要課題であり続けた。一方、高度経済成長期も後半になると、資料37の北方圏交流のように、それまでの工業化とは相対的に異なった地域発展の展望が語られるようになる。そこでは苫小牧東部など大規模拠点開発の発想を一部に残してはいるが、視野をサハリン、アラスカ、北ヨーロッパなどに広げ、生活・文化・学術・スポーツ等の交流を通じて北海道の発展を図るという視点が打ち出されている。またこの時期は物資輸送の面でも転換期を迎え、トラック・フェリー輸送が拡大してきてはいたが、まだ鉄道輸送が主要な位置を占めていた。他方、労働運動が高揚しつつも曲がり角を迎えるといった状況のもとで、北海道の輸送問題が注目された。資料38はその間の事情を示したものである。が終わりを告げると、北海道でも重化学工業化に追随する従来の手法の限界が意識されるようになった。こうした状況のもとで、主体的で新たな発展方向を大胆に打ち出そうとしたのが資料40の北海道新長期総合計画であった。ここで打ち出した考え方を一言でいえば、後追いではなく時代の流れを先取りするということであったといえよう。そうした新たな試みが典型的に現れたものが資料41と資料42に示された一村一品運動であろう。この運動の本質は横路知事の「産業が都市をつくり、地域をつくる時代から、地域が産業や文化を育てる時代に入った」という認識にあるといってよい。資料42によれば一村一品運動は一、三一一事例に及び、全道に広がりを見せた。そして特に注目されるのは地域おこしへの住民参加を引き出したことである。このように一方では大きな成果を上げつつも、一過性の運動資料39は戦後から低成長期に至る北海道経済の展開過程を総括したものである。一九七〇年代半ばに高度経済成長高度経済成長の終焉と新たな模索44(4) 第1章 地域経済と経済政策
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