北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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銀座商店会は商店街そのものは大したものではないが共同動作をとろうという意欲は強く共同の印絆てんを作り、ここだけの単独の縁日出店に類したものを実施し、また歩道の舗装もやろうとしている。名寄はまずこれからというところ。ネオンアーチがある。このような商店街活動の状況を別の面からみると、商業活動そのものが余り積極的ではないとみられる。私は安易に開拓者精神などというものが多少はあるかと予想したのだが、これは見事に裏切られた。北海道の消費者の文化度というものは低いものでなく、その服装なども農村地帯へ行つても東北、北陸などよりずつと程度がよい。しかし商店街や商店はこの消費者の要求に適合しているとは見えず、個性的魅力を持つていない。もち論、これはアメリカナイズされたものがよいというのでもない。徒らに華美で浮わついた見栄ばかりのものは却って排撃したいが、少くとも清新というか、鮮度のいい活気のある商品のそろつている状況は見当らないのである。一般に業者の熱意よりは市、町の当局者特に商工会議所の当局者の方が積極的に見える。札幌、夕張、滝川、名寄、北見ともそうである。もつとも業者の積極的に見えるのも散見はするが、それは一つの結集された力というものにはなつていない。北海道の自然の美しさは車窓だけでみたのであるがともかく大らかで、そして雅致がある。しかし商業的なものは小さいせまい視野で十年一日の如く、伸びようとするよりは維持しようと、せせこましく動いているようで夢がない。刺激がないためなのか、産業構造や気候によるものなのか。いうならば北海道の商店街活動の現状はその産業構造の二次的な影響を受けたそのままか、人口の増減に伴つた自然発生的なままのものが多く、人の力というものが意識的に組織的に加えられているとは見えない。この点は商店街を構成している各店舗の状況をみても明らかである。道庁では毎年店舗診断を実施してきているようであるが、その形跡は余り見られず、能率のいい入りやすい買いやすい店内配置のやり方は普及していない。この点で記憶に残る店は北見の太陽堂のみである。569第1節 商業活動の戦後復興    

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