に終わった事例も多く見られ、時の流れとともに一村一品という言葉もあまり聞かれなくなった。しかしその後も様々な形のまちづくりや「六次産業化」などの取組に一村一品運動の遺産は生かされており、これらを道民として改めて客観的に総括してみることが求められているといえよう。これとは別に、この時期従来の工業化とは異なる産業発展の方向として模索されたのが情報産業などのハイテク産業であった。一九八三年にいわゆるテクノポリス法が制定されるが、札幌市が八六年にいち早く野幌テクノパークを完成させるなど、北海道で先導的な試みが進められた。これらに関する当時の北海道拓殖銀行調査部による提言が資期であった。その後バブル経済によってそうした意識は一時遠のいたが、バブル崩壊以降特に二〇〇〇年前後ごろから北海道経済にとっての深刻な課題となってきた。公共投資依存型の北海道経済の状況を分析し、その縮減に強い危機感を提起したのが資料44である。このように、大規模工業化も公共投資依存も、ともに困難であるという認識のもとで注目されたものにクラスター論がある。これは産業集積がもたらす相互作用を重視する理論で、一九九〇年代の後半以降、国際的に大きな影響力を持つようになった。マイケル・ポーターが提起したこの理論を、戸田一夫北海道経済連合会(道経連)会長の主導でいち早く北海道に適用したものが資料45であり、これは日本のみならず欧米と比べても先進的な運動であったといえる。料43である。また一九八〇年代前半は公共投資が減少し、財政依存型の北海道経済の見直しが強く意識され始めた時45 解 説
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