北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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と道路の未整備から、旅客・貨物ともに鉄道・軌道が地域輸送の中心を担っていた時代であった。資料22は、戦後復興期の一九四七(昭和二二)年当時の簡易軌道の現況と今後の計画について述べられている。簡易軌道は北海道開拓地の入植者の交通確保のために敷設されたが、一九六〇年代以降、道路整備の進展に伴い自動車への代替が進み、七〇年代初頭には補助金打ち切りにより廃止されていく。しかし資料の時期は道路も未整備であったため、入植農家定着の上で不可欠の交通機関として政策上も重視されていたことが分かる。根釧原野、天北原野を中心に存在した既設線のほか、新規路線の敷設、馬力牽引の動力化も計画されていた。一九四七年以降、傾斜生産方式のもと石炭業に資金が重点配分され、出炭量が急増していたが、輸送の方が追いついていない現状があり、常に石炭車不足に悩まされていた。また冬期の石炭凍結によって石炭車からの荷卸しに多大な時間を要していることも石炭車不足に拍車をかけていた。材高騰があったものの、定山渓観光客の増加とバス事業の再開、豊羽鉱山の再開による鉱石輸送の拡大などを受けて、順調に業績を拡大していた。また一九四七年以降、真駒内に進駐軍基地が建設されたことにより資材輸送や人員の輸送が急増した。戦時中休止していたバス事業も一九四八年五月から再開し、八月には定山渓駅前まで延長、大型のトレーラーバスや、ロマンスシート車(全座席が進行方向に向けられた観光用のバス)なども導入された。用自動車の払い下げはあったものの、燃料不足により稼働している自動車はまだ少数であった。したがって鉄道駅からの小運送は馬が担っていたが、馬糧の不足が大きな障害となっており、闇価格での馬糧購入をまかなうため、公定価格から外れた闇運賃の収受も問題化していた。資料23は国鉄の札幌鉄道管理局から見た戦後復興期の道内貨物輸送、特に石炭輸送についての現状が記されている。資料24は戦後復興期の定山渓鉄道の営業の概況が述べられている。戦時中荒廃した設備の復興やインフレによる資資料25は道庁警察部で取りまとめた戦後復興期の道内自動車運送業、小運送業の状況を示すものである。戦後、軍644第7章 建設業・交通【交通】   

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