北海道現代史 資料編2(産業・経済)
659/1104

路の開設予定路線と、北海道での使用飛行場は千歳飛行場の予定である旨が通知されている。その後、同年一一月より千歳―羽田間に日本航空定期便の運行が開始されることになる。資料27は日本最大規模の海難事故となった青函連絡船・洞爺丸事故とそれに対する国鉄の対応策について国鉄側(営業局旅客課)からまとめたものである。まず洞爺丸事故に至る状況と青函航路途絶に伴う輸送制限などの対応について記された後に、遭難者、遭難者家族、遺体遺骨の輸送等の取扱いについて述べられている。すなわち遭難者家族が現地に赴く場合にとられた運賃や料金に関する特別措置や、遭難者運賃料金の払い戻し、遺体の輸送などについて詳細に記述されている。復興が一段落して生活が安定化し、輸送需要が拡大する中、バス、トラックの役割が増大し、また新たに航空路が開設されることで速達化も始まった。国鉄も高まる輸送需要に応えると同時に、ディーゼル化や特急の新設、急行増発による速達化と合理化を目指した。他方、札幌では都市の過密化が進む中、路面電車に代わる地下鉄建設が計画され近代化が進められた。中短距離移動の鉄道から自動車へのシフトは一九七〇年代以降本格的に進展するが、既に五〇年代末期からその動きが現れていた。資料の書かれた一九五九(昭和三四)年当時はまだ輸送量において国鉄が最大の割合を占めていた時期であるが、北日本航空株式会社が道内の札幌―稚内間の運航を開始したことで、上等の二等客が、費用は高いものの所要時間が大幅に短縮される飛行機に流れ始めていたことが分かる。既に幹線の札幌―東京間も同様に、上等利用客については移動時間の短さから鉄道から飛行機へのシフトが進んでおり、国鉄としても危機感を持ち、蒸気機関車資料26は一九五一年五月に航空庁から千歳市宛に出された札幌―東京間航空路の開設についての通知文書で、航空資料28は飛行機、トラックの進出に対抗する国鉄の姿が描かれている。長距離移動の鉄道から飛行機へのシフト、第二節 輸送量の増大と迫られる近代化645解 説   

元のページ  ../index.html#659

このブックを見る