北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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が牽引する列車から、よりスピードの速いディーゼル急行への置き換えを計画し、対抗を図っていた。貨物輸送については、この時期から道内総輸送量でトラックが鉄道を上回っており、時間のかかる操車場を経由せずに目的地へ直行する貨物列車を設定して、所要時間短縮を図っていた。またバスについても特に貸切バスの進出に危機感を持っており、観光臨時列車の設定などに苦心していた様子がうかがえる。また資料29にあるように、函館と札幌を結ぶ北海道の動脈である函館本線も一九六〇年代以降再編されていくこととなる。明治期以来、幹線として輸送を担ってきた倶知安・小樽経由の路線は、距離から見ると室蘭本線・千歳線経由の南回りよりも短いものの、勾配がきつく冬の積雪の問題があった。これに対し、南回りの路線は、雪も少なく、空港のある千歳、工業都市として発展する室蘭・苫小牧が沿線にあることから、国鉄は南回りを基幹線とする方針を発表し、一九六一年一〇月より新設の特急も南回りに決定された。幹線となった南回りの路線には操車場や線路・信号の改良が行われる一方、ローカル線となる長万部―札幌間の沿線の市町村では、ディーゼルカー導入などサービス向上を求めるものの、決定自体はやむを得ないとして反対の動きはないとしている。大阪、名古屋に次ぐ全国で四番目の地下鉄として建設されることとなる。一九六〇年代、札幌は人口の増加と急速なモータリゼーションの進行によって、特に積雪期の交通渋滞に悩まされ、路面電車とバスによる輸送が限界に近づいており、大量輸送に適した新しい高速軌道建設への機運が高まっていた。報告書では、札幌市は中央区を中心に都心に業務地域が集約されていることから、都心から直線的に郊外団地を結び、大通で交差する南北線・東西線が計画され、このうち緊急に整備を要する区間として北二十四条―中島公園間を挙げ、優先的に整備するのが適当としている。結果的には、まず札幌オリンピックの前年の一九七一年一二月に、世界初の本格的なゴムタイヤによる中央案内軌条方式を採用した地下鉄として南北線北二十四条―真駒内間が開業し、以後、東西線、東豊線などの路線が整備されて資料30は、札幌市高速軌道等調査専門委員による高速軌道整備計画についての報告である。札幌の地下鉄は東京、646第7章 建設業・交通【交通】  

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