いくことになる。一九六〇年代後半から七〇年代、自家用車の普及が始まった。特に面積が広く人口密度の低い北海道ではモータリゼーションは急速に進行し、短距離の移動は自動車へのシフトが進んだことで、バスも含めた公共交通の経営を圧迫するようになった。中長距離の旅客輸送においてはまだ鉄道が優位であったものの、道外との交通では航空機の比重が急速に高まった。また貨物輸送においてはトラックが過半を占めるようになり、トラック輸送と結びついたフェリーなどの新しい形態も現れた。のであるが、モータリゼーションが進む中、当時、各都市の公営交通の抱えていた問題点が示されている。ここでは赤字の原因として、一、中心部の人口の減少と郊外人口の増加、ラッシュ時に偏る輸送需要、二、人件費の高騰、三、道路事情の悪化と輸送効率の低下(自動車台数の増加による渋滞、横断歩道や信号機増設による速度低下、車両運用効率の低下)、四、値上げを抑制されている公共料金、の四点を挙げている。公営交通の赤字は函館市のみならず他都市でも大きな問題となっており、函館市としては、ワンマン化、労働条件合理化、電車路線並行のバス路線見直し、局施設統合、資産売却、他都市と共同で国への働きかけなど、各取組を行いつつ、運賃改定への理解を求めている。における問題点をまとめたものである。戦時期の企業統合、復興期の車両更新・燃料確保に奔走した時期を経て、一九五〇(昭和二五)年以降貸切バス復活と機械化除雪による冬期交通確保によって発展期に入り、五六年に「積雪寒冷地域における道路交通の確保に関する特別措置法」制定に至る過程が述べられている。また過疎・過密問題、自家資料31は函館市営交通(市電・市バス)の収支悪化と運賃値上げに際し、市民に理解を求めるために作成されたも資料32は社団法人北海道バス協会が戦前期からの北海道のバス事業の沿革と、戦後の復興・発展の過程、更に現状第三節 モータリゼーションと交通再編647解 説
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