北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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民営化によって新たにJR北海道が発足し、翌八八年の青函トンネル開通によって本州と直結した。青函トンネルは道外との貨物輸送短縮に画期的な役割を果たしたが、新幹線規格で建設された青函トンネルへの北海道新幹線開通が新たな課題となった。その後二〇一六年に新青森―新函館北斗間が開業するが、人口の札幌集中とそれ以外の地域の人口減少によりローカル線の赤字問題はいよいよ深刻化しており、今後地域の交通体系をどう維持していくか大きな問題となっている。鉄の経営は危機的となり、これに対処するために八〇年に国鉄再建法が成立、平均輸送人員等によって国鉄路線を「幹線」「地方交通線」に分類した。更に地方交通線のうち旅客輸送密度が一日四、〇〇〇人未満である路線はバスによる輸送を行うことが適当であるとして「特定地方交通線」と指定された。資料36で取り上げられている白糠線は、一九八一年に第一次特定地方交通線に指定され、特定地方交通線廃止の第一号として、八三年一〇月に廃止されて町営バスに転換された路線である。第一次特定地方交通線指定後、白糠町での廃止反対運動、協議会開催に至るまでの国鉄と町の折衝、協議会の経過と代替交通手段としての町営バス転換に至る過程が詳述されている。この後一九八〇年代、特定地方交通線の廃止とバス、第三セクター等への転換が急速に進んでいくこととなる。自動車道路の改良が進展し、舗装、道路標識、信号機などの整備が進められた。北海道における高速道路は札幌オリンピック前年の七一年一二月に北広島―千歳間が開通したのに始まり、その後順次延伸して八三年には白老まで開通した。こうした環境変化の中、同八三年に道南バスが、国鉄急行列車との競合から休止していた札幌―室蘭間の急行バスを高速道路経由で復活させた。当初貸切バス方式での運行であったが、好評であったため定期路線化、その後高速道路網の建設が進む中で各社により道内各地への都市間高速バスが開設され、長距離では相互乗り入れでの共同運資料36は白糠線の廃止とバス転換に至るまでの経緯を記したものである。一九七〇年代以降、赤字の累積により国資料37は主に一九八〇年代以降の北海道バス事業の展開について詳述されている。一九七〇年代に入ると北海道の649解 説  

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