北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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いわれます。では竣功当時の赤レンガの建物はどんな形をしていた  で殆んど残っておりませんのでよく分らないのですが、のでしようか。細部については図面等の資料が火災など現存している当時の赤レンガの数葉の写真等〈略〉によってご紹介しますと、まず目に付くのが昔の建物の屋根の上が大変賑やかだったということでしよう。現在の工事で鉄骨造で再現している中央屋根の八角塔(高さ主棟上から約三九尺)をはじめ、排気の役を果たした煉瓦造の換気塔が計一八基、両側に煙突が二本、ドルマーと呼ばれる鳩小屋が一一ヵ所、それに全ての棟木に棟飾を取付け、棟角にはお寺に見られるような水煙様の巴飾が大小合わせて二〇数個認められます。又正面中央の現在迄寄棟になっていた屋根は当初は上部に見晴台のあるマンサード形式のもので手摺グリルが付いていました。さしもの広い屋根もこれだけのものが付いていては、賑かになるわけです。他に現在解体工事が済んで姿を消してしまいましたが、南北両妻にあった階段室は昔はバルコニー風のものでした。何んの変哲もない現在の軒先も当初は箱樋が廻り、屋根葺も趣きのある天然スレートであったということです。では何故これらのものが、明治四二年の火災に遭う前に姿を消してしまったのでしようか。今ではその理由も判然とは分らないようですが、おそらく北海道の厳しい風雪、そして雨仕舞の悪さに依るものと推測されます。偉容を誇った八角塔も、風に揺らぎ、そのまわりの漏水で始末に困り果てた末、一町先迄の大桟橋を架けて(ある古老の話)これを取払わなければならなかった先人の苦労が偲ばれるようです。北海道百年記念塔建設の概要北海道百年記念塔建設期成会事務局『北海道百年記念塔建設期成会関係資料』一九六九年(伊藤組土建株式会社所蔵)7 北海道百年記念塔建設659第2節 オリンピックとオイルショック

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