九フェリー取締役)、川端菊次郎(関光汽船取締役)、732岩田治茂(関光汽船小樽支店長)、監査役 (阪九フェリー常務)、安田火災海上資本金を二億五、〇〇〇万円に増資新日本海フェリー第一船「すずらん丸」就航。小樽(拠点)→敦賀(寄港)→舞鶴(終点)。週二往復。資本金を四億五、〇〇〇万円に増資。新日本海フェリー㈱の本社を大阪に移転。小樽本社を小樽本店と改称。資本金を六億七、五〇〇万円に増資。第二船「フェリーはまなす」就航。週四便。新日本海時代構想に共鳴した関光汽船㈱会長 谷豊州氏と木村会頭が会い、フェリー運航計画を進める。・昭和四四年二月六日ホテルオータニ(東京)において、関光汽船、小樽・舞鶴両市市長、議長、木村会頭を含む発起人会が開かれ、フェリー運航計画が決められる。小樽~舞鶴間週二往復フェリーを運航させ、自動車と旅客の輸送を行うもの。総トン数六千トンの船。小樽~舞鶴間約三〇時間で航行。・昭和四四年六月一一日新日本海フェリー㈱設立。資本金一億円。創立本事務所小樽市色内一丁目二番一四号。代表取締役社長 入谷豊州(関光汽船会長、阪九フェリー社長)、代表取締役副社長 取締役 木村円吉(小樽商工会議所会頭)、大槻弘(舞鶴倉庫社長)、山本博康(郵船海陸運輸社長)、長谷川富造(札樽自動車運輸社長)、高尾織二(阪入谷拓次郎(関光汽船社長)、・昭和四四年一一月・昭和四五年八月二日・昭和四五年八月・昭和四六年七月・昭和四六年一二月・昭和四七年五月・昭和四八年四月福添徹 入第7章 建設業・交通【交通】
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