北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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白糠線のバス転換〈一九五八~八三年〉白糠線のバス転換(白糠線)昭和五十八年十月二十二日、白糠線に別れを惜しむ地元の人々、ファンなど約五〇〇名を乗せた五両編成の最終列車が十九時三十七分ドシャ降りの雨の中、白糠駅に滑り込んだ。白糠~北進間、三三・一キロメートルの白糠線は、これを最後に十九年間にわたる歴史を閉じ、その使命を白糠町営バスに譲った。利用者にも好評な町営バスは、その後の運営も順調に釧路鉄道管理局地方交通線部長 日本国有鉄道『国鉄線』三九巻四号一九八四年四月推移しており、ここで誌面をお借りしその経過を報告したい。白糠線は、北海道東部太平洋岸の白糠町から茶路川に沿って北上、池北線足寄に至る沿線の炭田及び豊富な森林資源等の開発を目的に昭和三十三年六月工事が着工された。三十九年十月、根室本線白糠駅から上茶路間二五・二キロメートルが開業、続いて四十七年九月「北進」まで松永 英郎 の七・九キロメートルが開通した。その後、赤字線対策が表面化し、足寄へ向けての工事は延期された。出炭量一〇数万トンのほとんどを白糠線で輸送していた雄別炭鉱上茶路鉱もエネルギー革命には勝てず、四十五年二月閉山、同線の貨物輸送は皆無となった。さらには、沿線人口の大幅な減少、マイカーの異常な伸び等により、その使命を失い、五十六年度全国ワースト二から五十七年度には営業係数三〇七七のワースト一に転落したのである。一、白糠線の概要第四節 進む高速化と赤字路線問題734        第7章 建設業・交通【交通】36 

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