北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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で、計九億九三〇〇万円は転換交付金としての限度額(三三・一キロメートル×三〇〇〇万円)が支給され、限度額をオーバーし、申請のあった二〇〇〇万六〇〇〇円は町費による負担とした。六、むすび十月二十三日九時、五段花火と鼓笛隊の演奏が秋空に響くなか、白地にブルーラインのスマートな町営バスが力強く発車した。町長はじめ、沿線住民など関係者多数が、真新しい車内で、新路線誕生に期待を込めた。地域交通の新しい時代への幕あけである。長くもあり、短くもあったこの二年間、町・陸運局と三者の徹夜に及ぶ徹底的な議論のミニ幹事会、身の引き締まる思いにかられた地元の心情、等々……、思い出は限りない。現在、好調な滑り出しを見せている町営バスが、さらに地域の方々に愛され、親しまれる足として、末永〈一九六九~九八年頃〉くその真価を発揮されんことを祈念する次第である。国の道路整備計画はいわゆるイザナギ景気の波に乗って進行した。昭和四五年の自動車道路整備第六次五カ年計画は一〇兆円を超える予算で、財源として自動車重量税が決められた。この計画は四八年に見直されて第七次五カ年計画となり、さらに五三年には第八次五カ年計画となってふくらみ、そして五八年には予算規模三八兆円にのぼる第九次計画が決定された。北海道の自動車道路が目に見えて改善され始めるのは        昭和四五年ころからである。砂利道の車道も次々と舗装札幌五輪でできた高速道路北海道バス協会編纂委員会『北海道のバス事業』一九九九年(国立国会図書館所蔵)都市間高速バスの開設と拡大738第7章 建設業・交通【交通】37 

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