北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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され、道路標識や交通信号機などの整備も進んで、道路事情は目覚ましく改善された。高速道路も四六年一二月、翌年の一九七二年札幌冬季オリンピックを見越して千歳―北広島間に開通した。これが北海道縦貫高速道路の基礎となり、その後、五三年には千歳―苫小牧東、五四年北広島―札幌南、五五年苫小牧東―苫小牧西、五八年には苫小牧―白老と伸び続けた。こうして都市間急行バスの活躍の舞台は整ってきた。 白老インター開通の翌日の一二月一五日、道南バス株式会社の室蘭―札幌ビジネス急行バスが出発進行した。同社は昭和三〇年代に同路線を運行していたが、国鉄の急行列車とは競争がむずかしく休止していた。高速道路を利用しての再開は、初め募集貸切の形をとり、一日一往復、運賃はコーヒー付き一、八〇〇円であった。当時、国鉄は特急で三千円だったから、時間的にもほとんど変わらないビジネス急行バスは大好評で、とくに正月には予約が殺到して対応に追われたという。本州のバス業者も注目して視察に訪れるほどであった。この結果、募集方式から定期路線に変わり、やがてそれまで休止していた中央バスも再開に踏み切って、道南バスと協議のうえ、それぞれ一日二往復、一、七〇〇円で認可を得て、翌年四月から両社のデラックスバスが競って走ることになった。運賃が安く、必ず座れるとの好評は続き、ときには増発車を加えるなど、人気はいまも続いている。その後も高速道路はモータリゼーションの進展と、国の積極的な公共投資に支えられて年々延長され、北海道縦貫自動車道では昭和五八年札幌―岩見沢、六〇年白老―登別東、札幌―札幌南間が開通し、平成二年までに岩見沢―旭川鷹栖間、九年までに登別東―長万部間が開通した。北海道横断自動車道は昭和四八年小樽―札幌西(高速道に切り替え)、平成四年札幌西―札幌ジャンクション、七年十勝清水―池田間が開通し、一一年三月末現在、北海道の高速自動車道開通区間延長は四〇八・一㎞となっている。このほか一〇年に日高自動車道の苫小牧―沼の端西739    第4節 進む高速化と赤字路線問題

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