北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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県の雲仙・普賢岳が二〇〇年ぶりに噴火し、大火砕流が長く続いたこともあって、旅行代理店は北海道観光を強く推進した。昭和五九年から上り坂を記録し続け、六二年度から毎年二けたの伸びを続けていた道外からの観光客は、平成三年には年間四〇〇万人を超える空前のブームとなった。これは昭和四三年から道バス協会も参加して実施した旅客市場開発企画の、北海道修学旅行誘致運動の成果でもあった。翌四年にかけても修学旅行のピーク時には道内のバスが不足し、各社間のやりくりに四苦八苦という嬉しい悲鳴も聞かれた。平成四年度の道内保有貸切バス台数は前年比六%増の二、二〇一台となっていたが、夏冬の季節間需要格差が大きいうえ、乗務員やガイド不足もあってこれ以上の増車は困難であった。だが、この年からバブル経済の崩壊、円高による海外旅行の割安感などから道外客は早くも減少に転ずる。海外事情や為替相場への敏感さ、これも観光の国際化といえる出来事であった。逆に韓国、香港、台湾からの観光客の増加もまたこうした事情が背景にあった。その後の富良野・美瑛観光ブームは、国際化とは直接かかわりなく、テレビドラマ「北の国から」の長続きする人気に支えられながら、エージェントや関係市町村の行ったキャンペーンの効果といえよう。映画、テレビドラマとの相乗効果を演出する観光企画は今後も盛んになりそうな気配で、観光資源を生かす企画の時代に入ったといえる。平成七年の調べでは、観光のもたらす経済波及効果は一兆六一四〇億円、観光消費額は一兆四六四億円で、いずれも前回の調査を大きく上回っており、観光が北海道経済の活性化や雇用の創出に確かな地位を占めていることを明らかにしている。この観光産業の発展に貸切バスが大きな貢献をしていることはいうまでもない。北の空の国際化をめざして新千歳空港が開業したのは平成四年七月一日。それまでは長らく防衛庁の管理のもと、民間機が共用するかたちをとってきたが、昭和六三新千歳空港の誕生743     第4節 進む高速化と赤字路線問題

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