年ようやく民間専用滑走路が完成したものの、ターミナルビルとは離れていたため不便だった。新空港ビルは海外便のターミナル機能をも持ち、北海道の国際化に照準を置いた第二の開港であった。道バス協会は開港前から乗降施設の整備について要請して来たが、観光シーズンを中心に接車帯の利用について混雑が予想されるため、整理要員を配置するなど、バスの乗降が円滑に行われるよう対策を講じた。各社は新千歳と観光地を直結する路線を開拓するなど、新しい活動舞台を求めた。同時に空港直下にできたJRの新千歳空港駅には、三六分で札幌駅と結ぶ快速列車がほぼ一五分間隔で乗り入れ、空港連絡バスとの競争という面でも新しい時代に突入した。もともと、千歳と札幌を結ぶバスは昭和二六年、日本航空が羽田―千歳間に就航した際、中央バスが委託契約をして貸切バスで航空利用客を運んだのに始まる。このときは一日一往復四〇〇〇円で、二五〇〇円は日航が負担、残り一五〇〇円は利用客が片道五〇円を負担した。同二九年、全日空の前身、日本ヘリコプター輸送株式会社(通称・日ペリ)が羽田―三沢―千歳にデハビランド機を就航させたときは北都交通の前身、北都タクシーが外国車数台で客を運んだ。以来、空の大衆化によって航空旅客が増加するのに伴い、昭和三九年から両社の路線バスとして伸びて来たものであった。道バス協会がかねてから要望して来た空港施設として の観光貸切バス待機場・乗降場の整備については、平成一〇年度になってようやく実現の見通しがつき、専用バース設置などが予定され、空とバスの直結のいっそうの利便が図られる朗報となった。青函トンネルの開業〈一九八八年三月一三日〉青函トンネル、津軽海峡線開業JR北海道20年史編纂委員会『JR北海道20年のあゆみ』二〇〇七年(北海道立図書館所蔵)744第7章 建設業・交通【交通】38
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