北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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昭和六三年三月一三日。函館駅四番ホームを七時二三分に出発した特急「はつかり10号」が、初めて北海道と本州をへだてた〝しょっぱい川〟、津軽海峡をくぐって青森に向かった。この日、二四年の歳月と総事業費七、〇〇〇億円をかけて完成した青函トンネルを経て函館―青森間を結ぶ津軽海峡線が開業。一カ月後の瀬戸大橋線開通と合わせて、ついに日本列島の四つの島がレールで結ばれた。青函トンネルの構想は古い。戦前には国威発揚を狙いに東京から対馬海峡をくぐり朝鮮半島に渡る西回りとともに、東京から北海道、樺太、そして大陸に至る北回りの両ルートを結ぶ「大陸縦断鉄道構想」があった。その一環として盛り込まれたのが北海道と本州を陸続きにする青函トンネルで、当時の鉄道省は「鉄道幹線調査会」を設けたものの、机上の空論を超えるものではなかった。そして終戦。海外の領土を失い、大陸縦断鉄道自体は夢と消えたが、北海道と本州を結ぶ青函トンネル構想は生き残り、昭和二一年から地質調査が始まった。恵山と下北を結ぶ東コースはルート延長上に活火山が点在するなど問題があることから現在の西コースに絞られ、二八年には鉄道敷設法予定線に追加された。それでも構想に対し、夢物語と揶揄する声もあったなか、翌年、一気に現実味を帯びる事態が発生する。昭和二九年九月二六日の台風一五号、いわゆる「洞爺丸台風」による、青函連絡船「洞爺丸」など五隻の遭難事故だ。死者数は一、一五五人に上り、トンネル待望論が巻き起こる。そして事故から一〇年後の三九年五月に北海道側の吉岡斜坑から掘削工事を開始、四一年三月には本州側の工事も始まった。「水没も覚悟した」五一年の異常出水をはじめ度重なる湧水との戦いを繰り広げ、世界でも例のない難工事を成し遂げて海面下二四〇m、総延長五三・八五㎞の世界一長いトンネルが完成した。青函トンネルを含む木古内―中小国間を結ぶ海峡線(八七・八㎞)の誕生に伴い、函館―青森間一六〇・四㎞の愛称を「津軽海峡線」とし、同区間に快速「海峡」、洞爺丸台風で現実味745      第4節 進む高速化と赤字路線問題

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