さらに札幌―上野間には豪華列車の先駆けとなった寝台特急「北斗星」の運行が始まった。同時に防災上の「定点」二カ所が、世界初の海底駅として認可を受けた。北海道側が「吉岡海底駅」、青森側が「竜飛海底駅」。一部「海峡」が両駅に停車し、トンネル内の施設を巡る見学コースを設け、貴重な観光資源にもなった。トンネルを走る新幹線の夢実現へ函館市内のホテルで開かれた竣工式には、青森駅での出発式に出席した後、青函トンネルをくぐってきた石原慎太郎運輸相も駆けつけた。当日の交通新聞紙上に寄せたメッセージで同運輸相は「旅客鉄道、貨物輪送の両面で輸送時間の大幅な短縮、乗り換え、積み替えが不要になるなど利用者の利便が格段に向上し、北海道と本州の結び付きの緊密化、観光開発の促進などにより、産業の活性化、地域の発展が大いに期待できる」と、その効用を強調した。実際、函館、青森両市はトンネル開業翌年の平成元年に「ツインシティー」の縁組みを結び、青函圏での交流を深めている。しかし、トンネルの利用者は、開通直後の昭和六三年度の三〇六万人をピークに減少傾向が続く。在来線での利用者増は難しい。起死回生策は北海道新幹線の実現だった。もともと青函トンネルは幅九・七m、高さ七・八五mの複線新幹線仕様。レールをもう一本敷設すると新幹線車両が走れるのだ。国家的財産にもかかわらず、在来線のみの使用にとどまり、新幹線仕様の施設維持に膨大な費用を費やし、当社の経営上にも多大な負担を強いてきた。そして開業から一七年後の平成一七年五月。道民の悲願だった北海道新幹線新青森―新函館間が着工され、青函トンネルを新幹線が疾走する夢が現実へ向かって動き出した。青函連絡船に幕華々しい「門出」の一方で、悲しい「別れ」もある。北海道と本州を結ぶ大動脈として八〇年の歴史を刻んできた青函連絡船が、青函トンネルの開業した昭和六三年三月一三日を限りに廃止された。函館駅桟橋ではJR函746 第7章 建設業・交通【交通】
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