北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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館支店吹奏楽団が奏でる「津軽海峡冬景色」の哀切なメロディーが流れるなか、別れを惜しむ大勢の人たちが最終船となった函館発青森行きの「羊蹄丸」を見送った。青函航路に国鉄が乗り出したのは日露戦争開戦の四年後の明治四一年三月七日、定期便として「比羅夫丸」(一、四八〇t)を就航させたのが始まり。輸送量は驚異的な伸びを示したが、戦時の混乱、昭和二九年の「洞爺丸台風」による遭難などを経て、三九年から四〇年にかけ「津軽丸」「十和田丸」など定員一、二〇〇人、五、三〇〇tクラスの大型船七隻が次々に投人され、輪送人員の増強が図られ、四八年度には五〇〇万人に迫る延べ四九八万六、〇〇〇人を運び、ピークを迎えた。「北海道新幹線建設促進期成会─要望書─」(北海道後志支庁地方部振興課「新幹線関係綴 成5年度」所収)一九九三年(北海道立図書館所蔵)1 (新幹線規格の新線を建設し、標準軌の車両が走行)による整備を基本とする。  平2 線とも限られた財源で規格低減化を図り、暫定的に整備を進めている状況にある。俎上に載せるため、段階的な整備について検討している状況にある。3 しに向けて、国から規格低減方式による整備方策について、地元としての意見が求められる場合も予想される。〔結 ・期成会としては、青函トンネルの有効利用を図る意整備方策の考え方四八年の整備計画による青森・札幌間全線フル規格しかしながら、昨年着工した三線は、一部を除き各さらに、未着工区間の関係県では、来年の見直しのこうした状況の中で、平成五年の基本スキー厶見直論〕味からも、北海道新幹線(青森・札幌間)の早期着工と全線フル規格による整備を基本として要望して北海道新幹線建設に向けた政治折衝747第4節 進む高速化と赤字路線問題39 

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