資料1は、その翌年六月にまとめられた、北海道炭礦汽船株式会社(北炭)平和鉱業所の「石炭増産対策調査」の石炭産業を概観する時、太平洋戦争の終戦後からの動向は最も目まぐるしいものであった。焦土となった本州の主要な都市や、工業地帯など、地域と経済の復興と再生が最も重要で深刻な課題として受け止められ、求められたところである。当時、一次エネルギーとして最もウェートの高かった「石炭」の生産は、これに応え得る国内資源として増産の対策と対応が求められた。戦後の「傾斜生産」から始まり、「エネルギー革命」、「斜陽化ムード」、「石炭政策」、「スクラップアンドビルド」と続くこれらのワードは、国内の炭鉱と石炭産業の盛時から終焉に向かう時系列の流れを象徴しているようである。終戦の混乱の中から、炭鉱再建の動きは困難を乗り越えながら着実に進められていた。一九四五(昭和二〇)年一〇月からは、閣議決定に基づく「石炭生産緊急増産対策」が数次にわたり実施されている。一部で、この時期、増産に向けた炭鉱の課題の数々が浮き彫りにされている。特に、慢性的な食糧・資材不足の環境と併せて、増産対策の一つの隘路となっていた労務対策などでは、戦前にはなかった緊張感が漂う。戦後復興期の炭鉱解 説 【鉱 業】【鉱業】第一節 戦後復興と石炭政策のトレース753(1) 解 説
元のページ ../index.html#767