北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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行うGHQ顧問と、労働協約に詳しいGHQ経済科学局労働部門担当者を交えた懇談が行われたことを記している。占領政策下での、炭鉱に対するGHQ側の高圧的な空気感が感じられる内容である。社大夕張炭鉱と北炭夕張鉱業所の調査内容である。当時の炭鉱の概況と併せて、石炭生産の現状について、技術・能率・増産余力などの項目で調査が行われ、戦後の復興増産に向けた基礎資料とされたものである。戦後復興時期に実施された国やGHQなどによる数々の増産施策は、徐々に軌道に乗るようになる。一九五〇年には朝鮮戦争勃発による工業特需などもあって、石炭産業は再び息を吹き返したように見えたが、石炭から石油への国内一次エネルギーの主役の急速な転換や、乱立した炭鉱の非生産性の課題など、目に見えないかたちで内包された課題もあった。また、石炭産業の斜陽化ムードという言葉が一般化するようになり、中小炭鉱の閉山の続出がそれを裏付けた。この時期、失業者救済の「黒い羽根」運動もあったが、一九六三年に始まり二〇〇二年の国内炭鉱の消滅まで続いた国の石炭政策が、炭鉱存続の担保とされるようになった。資料7は、一九六四年九月に北海道議会がまとめた『石炭対策に関する要望書』である。この当時、疲弊しつつあった道内の石炭産業(炭鉱)と、炭鉱事業地(産炭地域)の振興を国に求めるものであった。石炭体制の確立・中小炭鉱対策・産炭地振興対策・離職者対策などの項目が、道内の炭鉱と産炭地域の切実な要望として国に提出されている。までの流れを、その課題と政策内容を併記しながら、『石炭政策の推移について』としてまとめたものである。これは一九七〇年代の石炭産業の現状を示すとともに、その後も続いた石炭政策の中間点としての概観である。資料6は、一九四七年一一月に北海道の炭鉱で実施された、「炭鉱技術調査団」報告書の一部で、三菱鉱業株式会資料8は、道商工部鉱政課が、一九六三年に実施された第一次石炭政策から、六九年に実施された第四次石炭政策石炭政策下での炭鉱755(2) 解 説   

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