されており、八五年一〇月から運転開始されている。石炭火力が石油火力に比べて環境負荷が大きいのは当時も今も同じであるが、二度の石油危機を経た後、世界中で「脱石油」が叫ばれ、石油専焼火力発電所の原則禁止、石炭火力発電所の促進という「国際エネルギー機関(IEA)」の方針に沿って、対応していたことが分かる。試み(案)である。「泊原発凍結!道民の会」が提起したこの条例は実現することはなかったが、原子力関係施設に対する地元住民の意思を反映させる手段として「住民投票」を要望する声は根強く存在する。幌延の深地層研究施設に核物質を持ち込ませないという意図を込めた「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」(道条例、二〇〇〇年一〇月)は道民の意思を条例の形で表明したものである。後年の地層処分に関する文献調査をめぐる論点にもつながる問題がこの時点で起きていることが確認できる資料である。可能エネルギーの開発と普及に国を挙げて取り組もうとする二〇二〇年代からみるといかにもささやかなレベルではある。しかし、当時はこれが先進地域の姿であった。二〇二〇年代の風力開発のレベルと比較しつつ風力開発の意味を考えさせられる資料である。ある。当時設置されたこれらの自然エネルギー利用機器、例えば風力発電機は二〇二〇年代に主流となっている風力発電機(四〇〇〇kW級)から見るとおもちゃのような存在であるが、これがやはり最先端であった。そして、増毛町は全国に先駆けて自然エネルギー開発に取り組んだ町として名をはせていた。資料31は、泊原子力発電所一号機の運転開始に当たって、道民投票を実施すべきという要望を条例化しようとした資料32は、一九九八年頃の北海道における風力資源の賦存状況をまとめた、道経済部による調査報告である。再生資料33は、資料32の地域限定版とでもいうべき、一九八〇年当時の増毛町の風力等ローカルエネルギー開発状況で第三節 原子力・天然ガス・再エネの時代764第8章 鉱業・エネルギー【エネルギー】
元のページ ../index.html#778