たしまして、一日も早くよき住宅の建設を実現したいと思うのであります。つまり住宅の建設は、今のところ応急施設であり ますが、おいおい住宅建設はそれ自身がただちに福利厚生施設であるというところにまで進ませて行きたいという理想を持っているのであります。宮田 どうも、いろいろありがとうございました。一日も早く住みよい住宅が炭鉱にどしどし建ちますよう、今後ともよろしくお願いいたします。炭鉱の皆さんも、どうぞご期待ください。そして一層増産にお励みくださいますようお願いいたします。座談会、炭鉱の住宅問題について。ただいまのお話は和田経済安定本部総務長官、菅石炭庁長官、阿部戦災復興院総裁でございました。(夕張地域史調査室所蔵)札幌石炭局労務部労務課『北海道炭住概況』 所謂「炭住」と呼ばれ一般に親しまれた労務者住宅並びに厚生施設の建設計画が、此完成こそは敗戦日本経済の再建を速にし、国民生活の安定を基礎付けるものとして全国民期待のうちに着手されたのは昭和二十一年も暮迫る十二月の事であつた。本道は既に雪に覆われて、此雪と共に炭鉱も一応屋外設営の進行を中止して労働力の不足をかこち、石炭生産不振の儘冬眠に入らんとしている時此様な計画が発表され然かも雪中、此工事を遂行する様指令を受けたのは正にあらゆる意味での覚醒剤でもあつたし、其一年如何ともし得なかつた炭住建設に明朗な希望を抱かせ、労働者に対しては、労働意欲を経営者には、増産の希望を与えるに致った。即ち昭和二十年八月、太平洋戦争の終結と共に、炭鉱にも極めて重大な影響がもたらせられた事は言う迄もな一、「炭住」の意義一九五〇年4 傾斜生産と炭住建設計画〈一九四六年頃〉775第1節 戦後復興と石炭政策のトレース
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